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昭和61年5月3日放送「鳶の長者」より

 番組スタートは1975(昭和50)年1月7日、当時学生だった私は4年後(パート10)からレギュラースタッフに加えて頂き、以来1995(平成7)年のスペシャル版に至るまで合計42話の作品制作に関わりました。

 以下に全作品をリストアップしています。タイトルが青い文字の作品は、別ページ(タイトルからリンクしています)で詳しくご紹介しています。

最大の放送事故

 私の作品放送中、突然この画面に切り替わってビックリ!という事件がありました。それは「まんが日本昔ばなし」通算501回目の放送で起きました。

 1985(昭和60)年6月22日、TBSなど22系列局で夜7:09頃から約2分間放送が中断。この時放送されていたのは私の作品「エビとカラス」でしたが、その間日本テレビなど13局で放送中の「ルパン3世」の中に約9秒間、何と「エビとカラス」の映像が割り込み放送されるなど、大混線事件が起きていました。(そっちの録画があったら、是非見てみたい!)原因は大阪地方の集中豪雨による回線トラブル。しかしこの間、発信局がある関西地区では正常に放送されていたため、「エビとカラス」が関東で正常に見られるようになるには5年後、1990(平成2)年9月22日にリピート放送されるまで待つしかありませんでした。

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ニュース速報と速報音

 「まんが日本昔ばなし」で上記のような放送事故や、作品の上にニュース速報のテロップが流れたりすることは非常にまれだったのですが、なぜか私の作品放送中にばかり起きました。

 1986(昭和61)年5月3日の「鳶の長者」放送中、コロンボの空港で、タミル・イーラム解放の虎(LTTE)による爆弾テロにより21人(うち日本人2人)が亡くなり、40人以上(うち日本人2人)が負傷するという事件が発生したというテロップが、「ビビッ!ビビッ!」という音と共に流れました。「鳶の長者」はその後リピート放送されなかったため、このテロップが乗っかった映像しか残っておらず、完全な形で見ることは今もできません。

BOB ANIMATION FILM

 1980(昭和55)年からの5年間、「BOB ANIMATION FILM」というスタジオを主宰していました。最初の2年間は吉祥寺、あとの3年間は井の頭公園駅近くに居を構えていました。見返してみると結構長期間に渡り、「まんが日本昔ばなし」のエンディングで「協力」として載せて頂いています。それも芝山努さん・小林治さんらの「亜細亜堂」や、高橋良輔さん・堀口忠彦さんらの「あかばんてん」という大看板と肩を並べて表示して頂いていたのですから、誠に恐れ多いことでした。(因みに「番衆プロ」というのは、市原悦子さんの当時の事務所名です。)

 なお、正式名称は「BOB ANIMATION FILM」なのですが、長すぎるということで「BOB」だけに端折られちゃったようです。

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LINK COLLECTION

 1985(昭和60年)に「BOB ANIMATION FILM」を解散し、その後「BOB」で一緒だった塚田洋子さんと共に、大竹伸一さんが主宰する「LINK COLLECTION」の設立に参加しました。

 「リンク」という単語は今やすっかりお馴染みになりましたが、当時は「何?スケートリンク?」などと聞かれる時代でした。いわばクリエイターの、ゆるやかなネットワークを目指した事務所でした。周辺には才能に溢れた若いクリエイターが集まっていたので、本当に大きな可能性を孕んでいたと思います。残念ながら、「LINK」の活動はわずか2年と少しで幕を閉じましたが、その間コマーシャルなど多様な作品作りに関わり、非常に充実した時間を過ごせたと思っています。

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