

Miyoshi Kazuhiko
三善 和彦
Animation Director / Illustrator / Animator

まんが日本昔ばなし
四十八豆と大黒天
昭和57年12月4日放映
演出:三善和彦
原動画・セルワーク:三善和彦(& BOB ANIMATION FILM)
美術(背景):阿部幸次
文芸:沖島勲
あらすじ
昔、あるところに与作という若者がいた。幼い頃ふた親を亡くした与作は一人で暮らしていたが、働きもせずに食事は叔母一家の世話になっていた。ある日嫁入りの行列を見た与作は、自分も嫁がほしいと思った。それには金が要る。与作は大黒様に、手っ取り早く金が手に入るよう祈った。すると夢枕に大黒天が現れ、豆を48種類育て、それを炒ってお供えすれば与作の願いは叶うと告げた。
次の日、与作は叔母から一粒豆をもらって植えてみた。しかしすぐ芽が出るわけもなく、ほどなく忘れて数日たった頃、ふと見ると豆が芽を出している。与作は他の豆も探し、もらってきては植えてみた。やがて日照りが続き、豆が枯れ始めた。与作は叔母に助けを求めたが、叔母も自分の畑のことで手一杯。与作は自分で桶をかつぎ、水場から畑まで何度も水を運んだ。やがて雨が降り、叔母が与作の家に来てみると、与作は雨に打たれながら、枯れずに蘇った豆を愛おしそうに眺めていた。
しかし、豆は46種類しか集まらなかった。あと2種類がどうしても見つからない。絶望した与作の夢に、再び大黒天が現れた。大黒天は、豆は本当は46種類しか無く、あとの2種類は労働の結果与作の手と足にできたマメで、それを合わせて48になるのだと教えた。与作はそれから一生懸命働き、できた豆を炒ってお供えしたので次第に暮らしも良くなり、やがて良い嫁さんももらうことが出来て、幸せに暮らしたという。


原作
原作は、山形県寒河江市に伝わるお話で、登場するのは怠け者の与作だけです。大黒さんは遠い山の上にあり、与作はそこまで雪の中を登っていって、疲れて眠ると夢に大黒様が現れます。そして、大黒様のお告げを聞くなり与作は改心して、努力して46種類の豆を集めます。あとの2つが見つからずに再びお参りすると、そこに手マメと足マメの2つを加えられるよう働けという大黒天のお告げがあって、それで働き者になるというお話です。
そもそも怠け者の与作がどうして暮らしてこられたのか不思議ですし、遠くの大黒様のところまで雪山を登っていく熱心さも腑に落ちません。また、お告げ一言で人が変わったようになるのは、さらに納得がいきません。そんな訳で、早くに両親が死んだ与作を可愛そうに思い、つい甘やかして育ててしまった叔母という存在を創作しました。叔母の長男は、常にその事に不満を持っています。でも、与作の怠惰はただの甘えで、根は優しい心の善良な若者です。彼が労働の価値に次第に目覚め、甘えから脱して自立していく、そのプロセスを丁寧に描くことが大切で、それで初めて「手マメ足マメ」を加えて48豆になるという話が活きてくると考えて脚色しました。
解説
演出家としては6作目ですが、アニメーションのいろいろな技法に挑戦したくてたまらなかった頃で、本作は全て切り紙です。動画から木炭紙にトレスして、それに一枚一枚透明水彩で着色。それを切り抜いて動画の位置に合わせてセルに貼り付ける。セルの総枚数としては、通常のセルアニメで作る「まんが日本昔ばなし」の1話分としても多めな約2,000枚でしたが、さらに俯瞰のロングショットでのモブシーンが多く、同じセルの上でも複数いる人物がそれぞれ動いていたりするので、気の遠くなるような作業量になってしまいます。スタッフには拷問に等しかったでしょう。
絵のスタイルも馴染んでいたスタイルから脱却し、全く異なるルールで描いています。例えば人物が後ろを向くと、背中の上に後頭部が見えるのではなく、上下がひっくり返った顔が乗っかります。横を向くときには横顔ではなく、正面向きの顔が横に倒れます。そんな風に、自分の中の常識を壊していくのも楽しく、何とかしてこれまでとはもっともっと違う絵が描けないか模索する、そういうことに夢中になっていた時期の作品です。


山形のお話なので、最初は山形弁を活かすことを考えました。私自身は仙台で暮らしたことがあるので、宮城県の方言はある程度わかりますが、山形弁はわかりません。そこで、知り合いの山形出身のアニメーターに聞いたりしましたが、最終的には方言を使うことをやめました。特定の地域だからこその話ではなく、普遍性を持った話なので、敢えて地域性を強く打ち出す必要はないと考え直したわけです。

実を言うと、与作の顔のデザインは、乗っていた山手線の車内、ドアの辺りに描かれていた落書きから ヒントをもらいました。絵のスタイルを模索していたときに、偶々目に入った単純な描線に「あ、これだ!」と感じ、頭の中にしっかり刷り込まれて消えなくなりました。
世の中、どこに作品の材料が転がっているか、全くわかりませんね。
いつも制作は、最後に徹夜続きとなります。デッドリミットといわれた朝にどうにか全カットが仕上がったと思った直後、冒頭の花嫁行列が延々続く、最も手間がかかる(だからこそ後回しにしていたのですが)カットがまだ丸々手付かずのままであることに気付き、血の気が失せました。全て終わったと思って帰り支度をしているスタッフに、申し訳ないと謝ってそのカットを手分けして作業しました。当然ですが不満を漏らす声も聞こえました。でもそ の時一人のスタッフが、「誰よりも本人が一番打ちのめされているんだから」といって納めてくれている声が耳に入りました。あれは、本当に涙が出るほど有り難かったです。