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まんが日本昔ばなし

恐山のおどり鬼

平成元年7月8日放映

演出・原画:三善和彦

背景:安藤ひろみ

文芸:沖島勲

あらすじ

 昔、恐山には鬼がいて、人は誰も足を踏み入れようとしなかった。麓の田名部(たなぶ)という村に、庄作という若者がじさまと二人で暮らしていた。庄作は村一番の踊り上手で、それはじさま譲りと言われていたが、今ではじさまはすっかり耳も遠くなって寝たきりになっていた。

 

 ある年、村を酷い日照りが襲った。寄り合いで対策を練ろうと伝えに来た村の若者に、じさまは恐山の踊り好きな鬼のことを話そうとした。しかし若者は、その話を遮ってしまう。若者が帰った後、じさまはその鬼がいくらでも水の出る茶碗を持っていることをつぶやいた。驚いた庄作は寄り合いでその事を話し、自分がもらってくると言った。皆が止めたが、庄作は恐山へ出かけていった。

 

 恐山で大きな赤鬼に出会った庄作は、下手に踊れば頭から食うぞと言われながら一生懸命踊った。その踊りがあまりにも楽しそうだったので、赤鬼は大勢の鬼たちを呼んできて皆で踊り出し、それは日暮れまで続いた。鬼たちは大喜びで、褒美に何が欲しいかと聞いた。庄作は村を助けるために、水の出る茶碗が欲しいと申し出た。鬼たちは庄作の勇気に感心し、快く茶碗を渡してくれた。心配する村人達の前に帰った庄作が、鬼に教わったとおりに茶碗の縁を擦ると、たちまち水が溢れ出して川に流れ込み、枯れかけていた作物も元気に生き返った。


 今でも田名部の水が満々と流れているのは、この茶碗からまだ水が流れ続けているからだという。

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原作

 青森の伝説(日本標準刊)からの成田喜一さんの原作では、庄作の「じさまから聞いた話っこだども」という台詞で登場する以外、じさまはどこにも出てきません。まして寝たきりだとか、じさまと二人暮らしだとか、じさまも若い頃踊り上手だったというようなことは一切書かれていません。

 

 したがって、これらは全て私の創作です。じさまが寝たきりでいささか痴呆が進んでおり、だからじさまの言うことなど村人は誰も真剣に聞こうとする者がいなくなっていたという設定で、孫の庄作だけがその一言を便りに命がけで恐山に登るというドラマに厚みを持たせたいと思いました。

 

 このじさまの声を常田さんが熱演して下さり、実に存在感のあるじさまが生まれました。また原作では、庄作は一生懸命躍ったらのどが渇いたと言って鬼に茶碗を差し出させますが、ここは正直に村の窮状を訴えて、自分が来た目的を話した上で茶碗をもらうというようにしました。

解説

 この作品の心臓部はなんといっても踊りのシーンです。特に鬼と一緒に躍るところでは、テレビの視聴者まで楽しくなって思わず微笑んでしまうようなシーンになるよう努力しました。後半の歌は原作にある通りなのですが、最初の歌は原作の台詞をアレンジして私が作りました。もちろん歌の節回しも。振り付けも考えました。

 

 でもアフレコで拝見していると、やはりいきなり何の指示も無しに、ぶっつけ本番で動きに合わせて歌って頂くのは無理の様子。そこで仕方なくやったことが、市原さんと常田さんの前で実際に踊りながら歌ってみせることでした。

 

 ガラスの向こうの調整室では、他のスタッフが腹を抱えて大笑いしているのが私の視界に入ります。でも調整室の笑い声はスタジオ内に聞こえませんし、市原さんは調整室に背を向けていて、私だけを見ているので気づきません。必死に踊って歌う私のことを、真剣な目で見つめていた市原さんは、一通り終わってホッとした私に向かって、あのお声で厳かに「もう一度やってみせて下さい」などと仰います。汗びっしょりでアフレコが終了しましたが、その結果は本当に楽しいシーンに仕上がりました。

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​ 踊りのシーンのアニメーションは、今のようにデジタルで動きのタイミングを試しにチェックすることもできませんでしたから、全て頭の中で想定して設計したものです。弾むような躍動感を出すために3コマ撮り・2コマ撮り・1コマ撮りの乱れ打ちでした。​さらにこのシーンを作画している頃、チーフアニメーターの上口照人さんに「こういう時に一人くらいテンポがずれてる奴がいると、面白いんだよなあ。」と言われ、それならばと少し遅れて踊る鬼を加えています。​

 

 そんなこともあって、実に複雑怪奇なタイムシートになっていたと思います。さぞ撮影さん泣かせだったことでしょう。

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​ 「〽盆の十六日、ほげする晩だ

   小豆(あずき)、強飯(こわめし)、豆、もやし

   おどりおどるなら 品(しな)よく踊れ

   品(しな)のよい者 嫁になる」

 原作にある通りの歌の文句ですが、私にも意味がさっぱり分かりません。しかし何とも調子が良く、繰り返されると耳について離れなくなります。

​ 私が教鞭を執っていた大学でも、何人かの学生がこれを覚え、飲み会などでは歌いながら踊ってくれたりしました。

​ 冒頭、家を訪ねてきた若者にじさまが恐山にいる踊り好きな鬼の話をし始めると、若者が「またその話か」と遮ってしまうシーンがあります。じさまが話そうとしていたのは、その鬼がいくらでも水の出てくる茶碗を持っているということだったのですが、その前段の部分を聞いただけで、この先に続く話は「またいつもの話だ」と、若者は聞きもしないで判断してしまったわけです。

 

 必ずしもそのあとの話がいつもの話とは限らないんですが、これは日常でも年寄りの話に対し、ついやりがちなこと。

​ と思っていたら最近は、「その話、前にも聞いた」と自分が言われることが、年を重ねるごとに増えてきてしまいました。結構ショックを感じています。

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