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まんが日本昔ばなし

琴塚

昭和63年10月15日放映

演出・原画:三善和彦

美術(背景):阿部幸次

文芸:沖島勲

あらすじ

 昔、宮崎県延岡の東海(とうみ)に一人の山姥が住んでいた。赤茶けた髪を長くたらした山姥は、色の白い小さな女だった。山姥は山の崖っぷちに横穴を彫って暮らしていたが、この横穴にはお膳やお椀が沢山あり、村人達は祝い事や葬式の度にこの山姥のところへ借りにいった。山姥はいつでも頼んだだけのお膳とお椀を出してくれたが、何をするにも後ろ向きで決して顔を見せる事はなかった。

 

 ある婚礼の後の居残りの宴会で、このことが話題に上った。始めのうちは山姥への感謝の気持ちを話していた村人達だったが、次第に山姥の顔への好奇心がむき出しになってくる。そんな会話に苛立った源太という若者が、酒の勢いもあって「俺が山姥の顔を見てきてやる」と言って出て行き、実は好奇心が押さえきれなくなっていた村人達も後を追った。山姥の穴の前に来た源太は「膳と椀を返しに来た」と言い、それを受け取ろうとした山姥の手を掴んで思いきり引っ張った。途端にすさまじい地響きととともに雷光のような眩い光。恐れおののいて「手を放せ」と叫ぶ村人達の叫び声に耳も貸さず、源太は山姥の頭を掴んでグイッと振り向かせた。その顔を見た瞬間、源太は恐怖で吹っ飛ぶ。地鳴りも収まり、駆け寄った村人が声をかけるが源太はまるで腑抜けの様になっていた。恐る恐る穴の中を覗いてみても、中はもぬけの殻で山姥はおろか膳も椀も何もなかった。ただ、何処からか琴のような悲しげな響きが聞こえて来るだけだった。


 山姥はそれ以来二度と姿を現さなかった。村人達はこの小さな山のことを、琴塚と呼ぶようになったという。

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原作

 宮崎の伝説(日本標準刊)からの比江島重孝さんの原作では、一人の乱暴な若者(名はない)が引き起こした事件というトーンで描かれています。ですから村人達は「山姥はえらいべっぴんじゃなが」とか「べっぴんなら顔を見せればいいっに」などと噂はするものの、皆で若者の無茶を止めようとするし、誰も若者の後について行くようなことはしません。でもこれではいかにも一人に責任全部をおっかぶせたような居心地の悪さを感じます。

 

 実際誰も見たことのない山姥の顔を「えらいべっぴん」などという村人の話は誠に無責任ですし、本当は誰もが興味津々だったのではないかと考えたのが脚色のポイントでした。是非源太の行動にも一面の正当性を持たせたかったのです。

 

 また原作では、若者は山姥の顔を見る前に手を掴んだだけで地響きに驚いて逃げ帰って来てしまいますが、そこに至る会話劇で山姥の顔についての好奇心を煽れば煽るほど、最後に顔を見せないでは済まなくなってしまいます。このシーンについて要約した文章にすると、誠につまらなくなってしまうので「あらすじ」では敢えて省きましたが、本編では顔を見せています。(この時の顔をどうするかは、本当に悩みに悩みました。)

解説

 「まんが日本昔ばなし」では小林治さんが演出された作品で、時々ほとんどセリフだけで構成された話があります。ナレーションはせいぜい頭と結びだけ。緻密に書き込まれたシナリオで、重厚な舞台劇のように物語が進んでいくのです。

 

 自分も一度そうしたスタイルに挑戦してみたいと考えていたので、「琴塚」の原作を頂いた時、これは格好の素材だと思いました。場所も家の中と山姥の穴の前の二カ所だけ。大げさに言えばレジナルド・ローズの名脚本、「十二人の怒れる男」(シドニー・ルメット監督、1957年、アメリカ映画)を目標に(目標にしただけですから大目に見て下さい)ワープロに向かいました。

 

 直線的な若者源太に加え、全てを見通しているような長老を登場させ、最後に源太を責めようとした村人に向かって、誰も源太は責められんと諌めます。かなり整理したものの、それでも前半の会話劇ではセリフが多く、常田さんと市原さんにはメチャメチャ忙しい思いをさせてしまいました。

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​ 前半の会話劇の部分では、ここでも「十二人の怒れる男」を参考に、会話が熱を帯びてくるに従ってアップの切り返しを多用しました。さらに最後に源太が山姥の顔を無理矢理こちらへ向かせるシーンでは、同じ動きを何度も繰り返させるカット割りを使ってみました。

 

 ゆったりとしたテンポの作品が多い「まんが日本昔ばなし」では、多くの場合カット数が1話で100カット以内に収まることが多く、調子が良いと60〜70程度で終わることもありました。ところが本作では、前述したようなこともあって全部で150カットを越えています。私の作品中で最もカット数が多い作品ですが、最近のアニメーションは30分の半パートで200カット超えなど普通でしょう。短いカットで畳み掛ける、そういう演出の作品ばかり多くなりましたね。

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​ 源太が山姥の腕をつかんだ途端、穴の中から眩い光が放たれます。その穴を正面から撮ったカットは透過光といって、穴の形のマスクを切った向こうから照明を直接カメラに向けて撮り、それを背景と合成(二重露光撮影)します。ところがこのシーン、カメラが固定ではなく激しくブレるのです。さらに加えてブレが徐々に収まりながら、穴の中の光も消えていくというオーバーラップが加わります。アニメーションのフィルム撮影でのオーバーラップは現像所での処理ではなく、撮影時に前のカットを徐々に絞り値を大きくしながら撮影し、一旦巻き戻して次のカットを今度は徐々に絞り値を小さくしながら撮影するという、二重撮影をおこないます。これらが全て同時進行するのですから、非常に複雑な撮影です。しかし中からの光と穴の淵との間には、少しのズレも見られません。撮影さんの完璧な技術が見事です。

 背景は、「もちの白鳥」で千代紙の貼り絵のような背景を、全て手描きで描いて下さった阿部幸次さんですが、今回は全く異なるタッチです。打ち合わせの際「今回は、水木しげる風で行ってみましょうか」と仰り、まさにそんな雰囲気で見事な世界を描出して下さいました。

 「まんが日本昔ばなし」は一話ごとにキャラクターも背景もタッチが違いますが、作品の印象は多くの場合背景によって決まります。特にカット数が多かったこの作品は、背景担当の阿部幸次さんの負担も大きかったことと思います。

​ ところで人物が山姥の穴の中を覗き込んで、真っ暗で何も見えないという「見ため」のショットに、何度も「全面ブラック」を使っています。これは本来禁じ手で、非常に短いカットということで通りましたが、もう少し長かったら放送事故扱いになっていたでしょう。

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