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まんが日本昔ばなし

川を流れた月見草

昭和61年8月9日放映

演出・原画:三善和彦

美術(背景):安藤ひろみ

文芸:沖島勲

あらすじ

 昔々のある夏のこと、来る日も来る日も暑い日が続き、とうとう我慢ができなくなった津山の殿様は、吉井川の川原へお忍びで夕涼みに出かけた。そこに一面に咲いていた月見草を一目で気に入った殿様は、全て一夜で城に移し変えるよう家臣に命じた。順繰りに上から下ってきたこの命を受けた平平左衛門(たいらひらざえもん)は、やむなく百姓町人をかり集め、一晩中かかって川原の全ての月見草を城内に移したが、その後には無惨に荒れ果てた川原が残った。

 

 翌朝上機嫌で目覚めた殿様が庭を見ると、夜にしか花を咲かせない月見草は赤茶けてしぼんで見えた。腹を立てた殿様は花を捨てるように命じ、この命令もまた順送りに平左衛門のところにきて、平左衛門はせっかく運んだ月見草を川に投げ捨てるしかなかった。

 

 幾日かが過ぎて相変わらず蒸し暑い日が続き、再び殿様を夕涼みに連れていくこととなったが、荒れ果てた川原につれて行く訳にもいかず、今度は平左衛門に適当な場所捜しが命じられた。平左衛門は足を棒にして捜し回った。しかし日暮れ時になってもそんな場所は見付からず、いつしか平左衛門は吉井川をはるかに下った八出(やいで)の方まで来てしまっていた。そこで平左衛門が見たのは、なんと一面に川原を埋め尽くして咲き乱れる月見草だった。それは先日川に捨てられたものが流れ着き、根を下ろしたものだったのだ。

 

 平左衛門は月見草に抱かれるように身を横たえ、一時心安らぐ思いに浸るのだった。それ以来、元の川原には一本の月見草も咲かなかったという。

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原作

 原題は「Where have all the flowers gone(花はどこへ行った)」……というのは冗談ですが、稲田浩二さん(未来社刊)の原作の中心にあるのはわがまま放題の殿様です。殿様の命令で川原が掘り返され、すぐに捨てられる羽目になった月見草が八出の川原に流れ着き、それ以来八出の川原は月見草で埋まり、その一方で元の川原には一本も根付かなかったという形で、物語は終わります。主人公はあくまでも愚かな殿様であり、平左衛門のような人物はおろか、中間管理職の上田たちも一切登場しません。

 

 私は、殿様一人に責任をおっ被せたくないと考えました。殿様が愚かなら、愚かでも殿様でいることを可能にしてしまっている周囲にも責任があるはずです。例えば代議士がバカな事件を起こせば、そんなバカに投票して支持した選挙民にも責任の一端があるように。

 

 平左衛門は私が、最下級武士の代表的人物として創作したキャラクターです。ちょうどサトウサンペイさんの「フジ三太郎」のような、万年平社員のサラリーマンみたいな存在として登場してもらいました。だから名前も、こんなわかりやすい名前にしたというわけです。ついでに彼に命令を下す上司は、平より上だということで上田にしたという、実になんとも安直なネーミングです。

解説

 原作を頂いて、最初に調べたのは月見草という植物についてでした。月見草というのは一般には待宵草などの総称なのですが、実は江戸時代の末期にアメリカ大陸から渡来した帰化植物なのだそうです。だとしたら、この話は幕末のことなのか。そんな時代背景を念頭に置いてこの物語を読み直してみると、一見単純な話の中に深い意味が隠れているような気がしてきます。そこで江戸末期から明治初期にかけての津山藩の歴史を調べてみました。細かいことは省略しますが、津山藩主は徳川将軍家の血を引いていることもあり、幕末には藩内が勤王と佐幕に真っ二つに割れて大騒ぎになった様子が分かりました。当時はおそらくどこも同じような状態だったのでしょうが、背景には江戸開闢以来300年間の硬直化した体制と、それを支える(現代にも共通する)強固に事なかれ主義の官僚体質があったのではないでしょうか。

 

 そこでこの物語を(殿様による)環境破壊という問題だけでなく、(殿様を取り巻くイエスマンたちの)官僚的体質批判というテーマで演出することにしました。幕末だという時代背景は省きました。テーマは普遍的なものですし、それでこそ昔話としての価値を持つからです。

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​ 江戸時代の藩士は、300年間昇給が無かったといいます。さらに世襲なので、昇進もありませんでした。だから特に物価が高騰したという幕末期、最下級武士の生活は困窮を極めていたようです。平左衛門の場合も長屋の庭先で野菜を作り、妻も針仕事の内職に精を出して、殆ど傘張り浪人と変わらないような暮らし振りに描いています。

 

 一方無能な中間管理職どもは、ただ勿体ぶって仕事をしているポーズだけで、実際は何もしていません。いつも無理難題を順送りに平左衛門のところに持って来ては、押しつけていってしまいます。たとえ薄給でも貰えるだけマシとはいっても、平左衛門のような立場はさぞやりきれないものだったことでしょう。幕末に活躍したのは下級武士出身者が多かったのですが、残念ながら平左衛門はそんな活躍ができそうなタイプでもありません。

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​ いろいろ細部まで調べて制作しているようなことを書きながら、この作品には若気の至りといいますか、拙い考証のミスが多くて今見ると大変恥ずかしい気持になります。

 中間管理職たちが殿さまの指示を順送りに下に降ろしてくる対面のシーンで、いずれも大刀を左脇に置いて座っています。城内には大刀は持ち込まずに預けるものですし、まして左脇に置くというのはいつでも向かい合った相手に斬りかかることができるという姿勢で、これは絶対にあり得ません。因みに城内では短い脇差しだけを帯びます。

 また、津山藩主は松平姓で家紋は将軍家と同じ三つ葉葵ですが、それが付いた陣笠を家臣である上田がかぶっているのも変です。これは、上田家の家紋であるべきなのです。

​ この物語の本当の主人公は、あたかも確固たる意志を持っているかのような月見草たちでしょう。安藤ひろみさんは、殿様が「ぼんぼりのような花」と言っているとおりの、ほんのりと光っているような、本当に美しい月見草を描いて下さいました。

 

 中でもラストシーンで、見渡す限りの月見草の中に身を横たえる平左衛門からゆっくりトラック・バックしていくカットの生む印象は、全てがあの背景の力です。いっぱいまでカメラが引いていますので、背景は本当に大きな紙にビッシリと月見草を描いて頂いています。私が描いたのは真ん中で寝ていて動かない平左衛門だけですなんですから、これでは何だかズルいですよね。

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