Miyoshi Kazuhiko
三善 和彦
Animation Director / Illustrator / Animator
まんが日本昔ばなし
もちの白鳥
昭和60年10月5日放映
演出:三善和彦
原画:志村芳子
美術(背景):阿部幸次
文芸:沖島勲
あらすじ
昔、富山の下立(おりたて)村にどえらい長者がいた。何百反もの田畑に米蔵酒蔵宝の蔵を七つづつ持ち、何十頭もの牛や馬、それに何百人もの使用人を使って、城のような屋敷に住んでいた。長者は使用人達の仕事ぶりを馬に乗って見て回り、少しでも仕事の遅いものがいるとたとえ病人や老人でも容赦せず、お陰で使用人達は一年中休むことなど出来なかった。
こんな長者も一人娘だけには目がなく、姫や姫やと大層な可愛がりようだった。やがて姫は年頃の娘になり、万山(よろずやま)の板東長者のもとへ嫁ぐことになった。そこで長者は、誰も見たことがないほど立派な婚礼にしてやりたいと思い、あることを考えた。
その日から全ての田圃に餅米の苗が植えられ、使用人達は夜明け前から日が暮れた後まで、前よりも一層ひどく働かされた。やがて秋になると、長者はとれた餅米で来る日も来る日も餅をつかせ、そうして出来た餅を、板東長者の家まで姫の歩く道にぎっしりと敷き並べさせた。そして婚礼の日が来て、姫はゆっくりと餅の上を歩き始めた。餅など口にすることもできない使用人達は、その様子を遠くからじっと見つめているしかなかった。
行列が中程まで来たとき、姫の背後から白い鳥が一羽飛び立った。と、思う間もなく、餅は次々に白い鳥に姿を変え、すさまじい羽音を立てて一斉に大空へ舞い上がった。姫の婚礼は、こうしてめちゃくちゃになった。それ以来、長者の田畑には五穀が何も実らなくなり、使用人も次第にいなくなった。長者の屋敷にも住む者もなくなり、何もかもつぶれて荒れ果てていったという。
原作
「富山県の民話」(偕成社刊)からの稗田菫平さんの原作に登場する長者は、良いところが一つもない酷い人間です。確かに使用人の側から見れば、冷酷極まりない人間です。その長者がただ一人だけ愛したのが娘だったわけですが、愛し方を知らない長者は突拍子もない婚礼を用意し、そして全てを失ってしまいます。少なくとも動機だけは純粋なものだった長者の、その哀れな側面も際立たせたいと思いました。
姫の縁談について、原作では長者はただ大層喜ぶだけですが、ここでは嫁がせる決心をするまでかなりの葛藤があるように描きました。姫を可愛がるシーンで繰り返し姫の髪を梳き、遂に嫁がせることを決断したところで、長者がその櫛を折るというアイデアは、制作時に「LINK COLLECTION」で一緒に仕事をしていた大竹伸一さんからのものです。当時の私はまだ独身でしたので、すでに二人のお嬢さんの父親だった大竹さんのアイデアには、さすがと感心したものでした。
長者の声は、市原悦子さんが演じられました。私はこの作品ではアフレコに立ち会うことができなかったのですが、後で市原さんが「長者は何も間違っていない」と仰っていたと聞き、ただの悪人ではなく愛し方のわからない哀れな人間としての長者を理解して下さったことが、とても嬉しかったのを覚えています。
解説
原作についてのところに書いたような演出意図もあって、敢えて極端なまでに様式的な画面作りを心掛けました。長者は使用人達に対し常に見下ろす位置か、又は手前に大きく見える位置にいて、それをカメラが離れた位置から俯瞰で見ています。(ラストでこの関係は逆転します。)カメラは殆ど全カットが超ロングショットで、キャラクターは全て目鼻の無いノッペラボウばかりです。(わかりやすい表情による表現などは、むしろこの物語にはマイナスだと考えました。)
こんなキャラクターは、「まんが日本昔ばなし」始まって以来だと言われましたが、参考にしたのは千代紙人形です。頭が小さく、目や口が描かれていないその伝統のスタイルは、この物語を描く上では打って付けだと思いました。私の意図を酌んで下さった美術の阿部幸次さんが、さらに素晴らしい背景デザインを創作して下さいました。一見千代紙を使用した貼り絵に見えますが、実は一つ一つの模様は全て手で描かれています。気の遠くなるような作業ですが、こうして描かれた色鮮やかな背景画によって、まるで絵巻物のような絢爛たるイメージの作品が完成しました。
作画を担当した志村芳子さんは、私が駆け出しの頃に所属していたスタジオ・ジャップスで、共に働いていたアニメーターです。「まんが日本昔ばなし」で「鬼のしゃもじ」の作画を担当していたとき、動画も同じスタジオの仲間たちが分担していたのですが、動画は1枚ごとの単価でお給料が出ますから、手間がかかりそうなカットは誰もやりたがりません。ところが志村さんだけが、そういうカットに積極的に手を出しているのを見て、感心していました。
それから何年も過ぎて、ふと彼女のことを思い出し、この作品の作画をお願いしてみました。期待以上のものを仕上げてくれましたが、その後若くして亡くなられてしまったことが、本当に残念です。
酒造りの蔵には巨大な樽が並び、ラストではそこが廃墟のようになってしまします。この大きな樽は黒澤明監督の「用心棒」を参考にしたのですが、こんな巨大な酒樽は、そもそもあり得ないのだそうですね。樽は竹でできた箍(たが)で締めますから(「箍が外れる」は、ここからできたことばです)、その竹の長さによって樽の円周には限度があるわけです。でも、黒澤監督はリアリティーより視覚効果による面白さを優先し、どでかい酒樽を用意させたといいます。実際撮影に使われた樽は完全な円形ではなく、半円部分しかなかったそうですが、画面ではわからないように撮っています。
私の方はアニメーションで絵ですから、思い切った誇張は実写映画以上に充分アリだと思います。
お餅は手間をかけて作られるものですし、神様にお供えするものでもあり、日本人にとっては古来から、食物の中でも特に神聖なものだと思います。それを敷いて、その上を踏みつけていくという行為は、越えてはならない一線を完全に踏み越えてしまったものといえるでしょう。
現実として想像してみても、食べ物を踏みつけることに抵抗を感じない人はいるでしょうか。私はダメです。ワイン造りでブドウを踏む光景や、うどん造りで足で踏んだりしているのを見ても、どこか受け入れがたい気持ちを感じてしまいます。
プロテスタントの教会では、花嫁が通るバージンロードは純白ですが、お餅を敷いてバージンロードにしちゃ、そりゃあやっぱりダメですよ。