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まんが日本昔ばなし

ふしぎなひょうたん

平成6年4月9日(TBSは4月16日)放映

演出・原動画・美術(背景):三善和彦

文芸:沖島勲

あらすじ

 昔、ある浜辺の村に、子供のいないお爺さんとお婆さんが住んでいた。ある日お爺さんが海での魚釣りから帰ってくると、お婆さんが松原で赤ん坊を拾ったと言う。しかしお爺さんは親が心配しているに違いないと言い、次の朝二人は赤ん坊を連れて松原へ行ってみた。だが何日も通って日暮れまで待ち続けても、親は現れなかった。二人はこの子を神様から授かったのかも知れないと考え、鯱丸(しゃちまる)と名付けて大切に育てることにした。

 鯱丸はすくすくと育っていった。ところが5歳になったある日、鯱丸は突然いなくなってしまう。二人は必死に捜したが、鯱丸は見つからなかった。その晩松原で泣く赤ん坊の夢を見た二人は、いても立ってもいられずにまだ暗い内に松原に行ってみると、昔お婆さんが鯱丸を拾ったところにひょうたんがひとつ落ちていた。これも何か鯱丸に縁のあるものだろうと家に持ち帰った二人が栓を取ると、なんと中から鯱丸が二人を呼びかける声がして小判が一枚飛び出した。二人は鯱丸の声が聞けるのが嬉しくて、何度も栓をしては抜くのを繰り返すと、たちまち家の中には小判の山ができた。お爺さんはこの大事なひょうたんがネズミにかじられでもしたら大変と、紐で縛って天井からぶら下げた。ところが二人が寝てしまった夜中、泥棒が小判を盗みに入ってきてしまう。泥棒は小判を全部風呂敷に包むと、ぶら下がったひょうたんに気が付いて、酒でも入っているのだろうと栓を抜いた。途端に「誰だ、誰だ!」という鯱丸の大きな叫び声がひょうたんから飛び出し、泥棒はびっくりして小判を置いて逃げていってしまう。目を覚ました二人は、鯱丸に守られていることに安心して再び安らかな眠りにつくのだった。

 それからもお爺さんとお婆さんは、鯱丸の声が聞きたくなるとひょうたんの栓を抜いた。そして出てきた小判は困っている人にも分け与え、大切に使ったという。

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原作

 この話は「うどんと殿さま」同様、原作と演出の間にプロットがありました。西川司さんが書かれたプロットは徳山静子さん(未来社刊)の原作をかなりアレンジしており、私の演出した最終形もこれを継承した形です。原作では、鯱丸は5歳になった時自ら家を出ていきます。また二人が松原に行って見つけるのはひょうたんだけでなく、小さな箱があって小判はそこから出てきます。それにひょうたんは、栓を抜くと「誰だ、誰だ」という声が聞こえますが、それが鯱丸の声だとは書いていません。ひょうたんの声が小判の番をしてくれると思ったお爺さんは栓をしないで寝るのですが、泥棒は声が出てくるので静かにさせようと一旦栓をしておいたのを、(また抜いたら当然声が出るのが分かりそうなものですが)家を出る時元に戻そうとして抜くと、溜まっていた声がいっぺんに出たので目覚めた二人につかまってしまうという話になっています。

 

 これらのアレンジは、全てプロット段階でのものです。私がしたのは、鯱丸が成長していく姿とそれを暖かく見守るお爺さんとお婆さんの姿を丹念に描いたことと、鯱丸が二人を呼ぶとき「お爺さん、お婆さん」と言っていたのを(より幼児っぽく)「ジジ、ババ」と変えたことくらいです。さらにお爺さんが小さな鯱丸をあやすのに風車を使い、やがてそれを持って元気に走り回っていた鯱丸が居なくなった時、ぽつんと風車が落ちているというように描きました。このような小道具を効果的に使用することは、物語を映像化する上では重要なポイントだと思います。最後にお爺さんがひょうたんを吊るした時も、そこに風車を添えています。

解説

 スペシャルを除けば、シリーズでは最後の作品です。(少なくともこの時点では、後にスペシャルがあることは全く想定されていませんでした。)

 

 以前からプロデューサーの関昭さんやチーフ・ディレクターの小林三男さんから、私の作品は良く言えばシャープ、悪く言えば都会的で洗練され過ぎているという批評を頂戴していました。最後の作品と決まって考えたのは、良くも悪くもそれが個性ならいっそ思い切りシャープな絵作りに徹して、自分らしさを強く打ち出す方向で挑戦してみようということでした。そこでご覧のような極端に省略したキャラクターと、シンプルな画面が生まれました。


 和風のテイストにこだわって、これまで様々な和紙素材を使ったりしてきましたが、今回はそれもやめ、むしろ洋紙をはさみでザックリ切って貼り合わせたような画面造りをしてみました。特に参考にしたものは無いのですが、出来上がってみるとどこかヨーロッパ辺りの絵本にありそうなイメージの絵になりました。果たして「まんが日本昔ばなし」にこれが相応しかったのか、またこの物語にこのスタイルが正解だったのかは、皆さんにご判断いただくより他にないことなのだろうと思います。

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 絵のスタイルは思い切ってシンプルにしましたが、逆に動きはその分できるだけ丁寧に、情感が伝わるような細かい演技が必要になります。(止まっていたのでは、画面が持ちません。)そこでアニメーションの原点に戻ろうと、全動画一枚一枚に至るまで全て自分で描くことにして、合計2,000枚弱の動画を一人で描きました。特にあどけない鯱丸の動きなどは、当時自分の子供も小さかったこともあって、かなりこだわって描いたつもりです。しかしこうして静止画像にしてしまうと、その辺りがさっぱり伝わらないことにもどかしさを感じます。

​ もし動画サイトなどで、ムービーで見ることができるようでしたら、是非そちらでご覧になって頂ければと思います。

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​ キャラクターには、アウトラインがありません。ですから全て色トレスといって、トレーサーの方がペン先に塗り色と同じ色の薄めたセル絵の具をつけ、アウトラインをハンドトレスします。(これは自分もトライしたことはありますが、かなり難しいです。技術がなければ、到底綺麗な線は引けません。)その上で、セルの裏側から彩色していくのですが、こちらは色分けが少ないので、それほど大変ではなかったでしょう。でも、ハンドトレスの一工程がセル2,000枚分必要だったわけですから、その点では仕上げのスタッフに過大なご負担をお掛けしたと思います。

​ トレスマシンが無かった頃、東映動画の初期の長編アニメなどは全てハンドトレスです。当時は、素晴らしい腕を持ったトレーサーが大勢いたわけです。

 1994(平成6)年4月からのPART39以降、全国ネットを外れて各局バラバラの時間帯に移ります。(地方によってはここで放映が終了し、これ以降の作品が放映されなかったところもあります。)そしてMBSで8月27日(TBSでは9月3日)に放映された、いがらしみきおさん演出の「飯降山」を最後に、それ以降は全て再放送作品となり、19年間続いた「まんが日本昔ばなし」の制作ルームは解散。やがて番組も終了しました。

 翌年の1月2日と4月1日に放送されたスペシャルは、私は「まんが日本昔ばなし」とは別のものだと思っています。私自身も最後のスペシャルを担当していますが、その時強く感じたのは、長く継続していたシリーズに関わっていた人たちが一旦ばらけてしまうと、もう二度と同じ制作現場は戻ってこないということでした。かつて関わっていた一部の人だけでは、決して同じようには行かないのです。

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