Miyoshi Kazuhiko
三善 和彦
Animation Director / Illustrator / Animator
まんが日本昔ばなし
月夜の果報者
平成4年7月4日放映
演出・原動画・セルワーク・美術(背景):三善和彦
文芸:沖島勲
あらすじ
昔、あるところに作太とおかじという夫婦が住んでいた。亭主の作太は根っからの怠け者で、二人の暮らしは一向に楽にならなかった。
ある日、女房のおかじが寺の和尚から「果報は寝て待て」という言葉を聞きかじってくる。それを聞いてしめたと思った作太は、明くる日から一日中何もせずに寝て過ごすようになった。始めのうちはあまり気にせず一人で渋々働いていたおかじも、一年経ち、二年経つうちに、段々腹が立ってきて、和尚のところへ文句を言いに行った。ところが和尚はニコニコと「果報が来るよう仏さんに頼んでやろう」と言うばかり。とうとうアホらしくなっておかじも働くのを止めてしまった。
それから一年ほど経ったある夜のこと、壊れかけた天井窓から覗いた月を見て、作太が飛び起きた。なんと月で兎が餅をついているのが見えるではないか。おかじをたたき起こして調べたが、作太の家の天井窓から見なければ、決して兎の餅つきは見えなかった。噂はあっという間に村中に知れ渡り、やがて「作太の家の天井窓から月の兎の餅つきを見た者は果報者になる」などと話が変わっていくに従って、大勢の人間が作太の家にやってきては、お礼の金をおいていくようになった。
こうして大金持ちになった作太とおかじは、もっと大勢に見せられるようにと沢山の天井窓を付けた大きな家に建て替えた。ところが、どういう訳かそこからは二度と兎の餅つきを拝むことができなかった。屋敷は見る間に荒れていき、困った二人は和尚を訪ねた。和尚は相変わらずニコニコと、二人に「人間欲をかくと果報者が阿呆者になる。」と諭すのだった。
原作
原題は「果報は寝て待て」なのですが、最初のタイトル案は「果報者と阿呆者」でした。でもそれでは落とし話のオチを題名でネタバレさせてしまっているみたいだということで、このタイトルに変更になりました。
垣内稔さん(未来社刊)の原作では、作太に仕事をやめて寝ているように勧めるのはおかじです。また、最初から夫婦揃って働くのをやめてしまうことになっています。しかしそれで何年も過ごせるというのは、最初から貧乏な作太夫婦にとってあまりにも非現実的です。それにおかじの人の良さを表現するには、寝ている作太の横で一人で働いていた方がいいように思いました。(おかじまで寝てしまってから、さらに一年ほどの間生活できているのも不思議ではありますが。)
また原作ではおかじに怒鳴り込まれた寺の和尚さんが「すっかり参って」しまうのですが、ここはあくまでも泰然自若とした和尚さんにしました。それでこそ最後のセリフが効いてくると考えたのです。
因みに常田さんがこのセリフを実にゆったりと語って下さり、更にその後に「フッ」というような何とも言えない声があって和尚さんが微笑むので、ただの駄洒落のような台詞が、ユーモラスな上に何ともいえない暖かな余韻を残すシーンになりました。
解説
この作品も演出、作画、背景から彩色まで、殆ど自分一人でやった作品です。キャラクターは和紙のちぎり絵で、部分的に表情や指先などだけセル絵の具で描いてあります。一人二人なら楽なのですが、大勢の村人が作太の家に押し掛けるシーンは大変でした。
背景もむら染めの和紙に刷毛でタッチを付け、粕を漉き込んだ和紙と組み合わせて作った貼り絵です。エリック・カールさんの絵本のような、絵の作り方です。
兎の餅つきの部分は鉛筆で描いた動画ですが、直に撮影するとコントラストが強すぎる上、いかにも鉛筆で描かれているという感じが出すぎるので、少しボケた感じを出したいと思って様々な素材を乗せて試してみました。トレーシングペーパーなど、いろいろ試した結果、一番身近にあったものが最も適しているのに気付きました。それはアニメーションのセル1枚1枚の間に、湿気などでくっついてしまわないように挟んである薄紙です。まさに灯台もと暗しでした。
アニメーションではセルに色を塗って仕上げると、間に挟んであった薄紙は不要になって捨ててしまいます。ですから仕上げの現場では、毎日大量の薄紙がゴミとして捨てられます。いわば産業廃棄物で、これを再利用したわけです……って、そんな大げさなもんじゃないですね。
「鶴の屋敷」以来の和紙のちぎり絵によるアニメーションですが、今回は「鶴の屋敷」のように、3コマ撮りで滑らかに動かすようなマネはしていません。そうすると、むしろせっかくの和紙のテクスチャ感が削がれてしまうことを前回学びましたので。
そこで今回は6コマ撮りや8コマ撮り、場合によっては12コマ撮りなどということをやっています。おかじが横向きで歩く動きは、足を開いている状態とクロスしている状態の、わずか2ポーズだけ。それを置き換えて撮っています。要するに2枚の絵だけのパタパタアニメです。でも、それで横にスライドさせれば、何の問題もなくちゃんと歩いて見えます。縁がボソボソした和紙をちぎった感じは、この方がしっかり目に残るのです。
キャラクターは動画に会わせてちぎった和紙を、セルの上から貼り付けていますが、それだけですと和紙は薄いので、特に顔などの白っぽいところは、背景が透けて見えてしまいます。それを避けるため、表側に和紙が貼ってあるセルの裏側に、全て白いセル絵の具を塗っています。透け防止の裏地みたいなもんですね。
頬の赤みは、水を含ませた上から透明水彩の赤色をちょっとだけ加えてにじませています。表情や手足の指先のタッチは、別のセルに表からセル絵の具を付けた筆で描き、それを和紙を貼ったセルに重ねています。ですから「ごんぞう虫」同様、セルが自動的に倍になってしまいます。予想以上にセル重ねが多くなり、シーンによっては結構工夫する必要がありました。
原作にはなかった要素を、付け加えた部分があります。それは、噂が伝わっていくうちに、話が「作太の家の天井窓から月の兎の餅つきを見た者は果報者になる」というように変化していってしまい、それで一層人が大勢押しかけるようになってしまうことや、大きな家に建て替えた途端兎の餅つきが見られなくなると、今度は掌を返したように作太についての悪い噂が飛び交うようになってしまうところです。
昔から「人の口に戸は立てられぬ」と言いますが、噂やデマというのは一旦広がり始めると容易に止めることができません。意図しない方向でも暴走し出したら最後、手が付けられなくなるものです。さらに今やネット社会ですから、広がるスピードとスケールはかつてとは比較にならないほど。何とも恐ろしいことになってしまいました。