Miyoshi Kazuhiko
三善 和彦
Animation Director / Illustrator / Animator
まんが日本昔ばなし
たましいのいれかえ
昭和59年6月23日放映
演出:三善和彦
原動画:三善和彦(& BOB ANIMATION FILM)
美術(背景):関口良雄
文芸:沖島勲
あらすじ
昔、ある暑い夏の昼下がり、日向を出て全国を修行して回っている男が伊勢の安濃を通りがかり、長源寺に立ち寄った。すると十一面観音がまつられた本堂の縁先で、村人の与平が一服していた。旅の男もそこで一休みし、二人で話などしているうち、いつしか二人は居眠りを始めた。すると二人のたましいが身体を抜け出し、そこらを飛び回って遊び始めた。そこへ与平の隣家の源次が通りがかり、与平を勢いよく起こしたところ、慌てて身体に戻ろうとした二人のたましいが、あべこべに飛び込んでしまった。二人は何も気付かず、与平は笠をかぶって杖を持ち、旅の男は与平の鍬を担いで与平の家に帰った。与平の女房は見知らぬ男が家に入ってきて亭主の座に座っているので驚き、隣の源次のところへ飛んでいった。源次は村人達に働きかけ、皆で与平を探すと、隣村の吾作の家にいるのが見つかった。しかし与作は女房の顔を見てもポカンとした表情で、自分は旅の者で明日は桑名まで行くという。
これは二人のたましいが入れ違ってしまったに違いないと源次は考え、また長源寺の同じ場所で昼寝させることにした。初めは不満そうだった二人だったが、やがて眠り始めると、二人のたましいはまた外に出た。しばらくして与平には与平の、旅の男には旅の男のたましいが戻り、二人は目を覚ました。二人が元に戻ったことがわかり、村人達は大喜び。何があったかを村人達から聞かされた二人は大いに驚き、きっと十一面観音さまがなされたこと、これも何かの縁だろうと拝んだ。
人々はこの話を、“伊勢や日向の物語り”といって、今も語り継いでいるという。
原作
内海康子さん(偕成社刊)の原作も、すでに完成された物語になっていましたので、ほぼそのままで大きく手を加えることはしていません。この原作をアニメーションにすることで面白くなると思われるのは、やはり二人の身体からたましいが抜け出してフワフワ飛び回り、やがて慌てて戻ろうとしてアベコベに飛び込んでしまうところででしょう。また、語り口がどこかノンビリしていてユーモラスで、だからこそ解決策としての「もう一回二人を昼寝させよう」という長閑なアイディアが説得力を持ち得るので、この雰囲気は大切にしたいと思いました。
ただ、原作ではラスト、二人は十一面観音のために二つのお堂まで寄進し、この二つのお堂を半月ごとに十一面観音が移ることで「ふたつ身堂」というようになり、やがてそれが長源寺そのものの呼び名になったというような謂われ話にまで至るのですが、そこは冗長になるので省きました。なお、原作に名前が書かれているのは与平一人です。物語を分かりやすくするため、源次や吾作など、脇役たちにも名前をつけさせてもらいました。
解説
まず考えたのは、暑い夏の昼下がりに寺の本堂で、日陰で風通しの良いところでついうとうと眠ってしまう、その空気感を絵でどう表現できるかでした。夏の強い日差しを浴びた、日向(ひなた)と日陰の強いコントラスを印象付けるため、ファーストカットのイメージは、自分の中では早い段階で決まっていました。真っ白と、夜空かと思うほどの濃い青の空。この辺りのコントラストは、(タッチは全く違いますが)大滝詠一さんの「A LONG VACATION」のアルバムジャケットなどで一世を風靡していた永井博さんのイラストレーションを参考にしました。この頃私はまだ背景まで担当していませんが、イメージボードの段階で背景のデザインもほぼ完成しています。
キャラクターを単色で塗るというのは、それ以前にも「みみずの涙」で試みようとしたことはあったのですが、実際にやったのはこれが最初です。最初は旅の男が青で与作がえび茶だったのが、同色系のたましいが抜け出て入れ替わって入ると二人の色もスッと入れ替わる(声も市原さんと常田さんが入れ替わっている)ように描いたのですが、こちらは思ったほど分かりやすい効果としては現れませんでした。描線は全てホワイトですが、これはハンドトレスではなく、ホワイトのカーボンを使用していたと思います。
導入部のゆったりしたテンポ、そこから二人が眠ってしまうまでのとりとめのない会話には、リアリティを持たせたいと思って工夫しました。それこそ、テレビを見ている人まで眠くなってしまうような……そんなことができたのも、「まんが日本昔ばなし」だからこそですね。あの土曜日の夜7時からの30分だけは、時計までゆっくりと回っていたような気がします。
この作品では、かなり極端に様式的な構図造りもおこなっています。これまでの作品からは大きく踏み出した感じで、自分にとっては一つの転換点となった作品だと思います。
私も大好きな昔のアメリカのTVシリーズで、「ミステリー・ゾーン」(原題:The Twilight Zone)という番組がありました。その中に「自分を探す男」というエピソードがあります。主人公は飲んだくれて帰宅し、翌朝目覚めると、隣で寝ていた妻が自分のことを見知らぬ男だといって悲鳴を上げます。驚いた彼は会社に行くのですが、誰も自分のことを知らないと言い、自分の席には見知らぬ男が座っています。ある日突然自分という存在を失ってしまう恐怖を描いた傑作で、終わり方も凄く怖くて衝撃的でしたが、私の話は全く違って、どこまでも間が抜けたような、すっとぼけた調子でお話が進みます。物語が語り部(演出家)の手にかかると、語り口次第で物語の印象は一変するのです。
絵作りでは様式化や省略を効かせても、ディテールの描写は丁寧におこなうよう心がけました。最初の昼寝から目覚めたとき、旅の男が握ったまま寝てしまっていた錫杖を「おっと、これはそちらさんのじゃな」と言って与作に手渡したり、与作のたましいが入った旅の男が与作の家に来て、女房が驚いて源次に言いに行き、二人が家の中を覗き込むと旅の男が鍋からつまみ食いしていたり(心は与作ですから、自分の女房が作った食べ物は腹が減っていればつまむのは当然でしょう)、そんな小芝居を丁寧に入れていきました。
それでも動画枚数は、トータルで1,200枚にも達していません。通常の半分くらいの量ですが、ご覧になっても、恐らく動きが少ないという印象はあまり持たれなかったのではないかと思います。