top of page
konyaTitle.jpg

まんが日本昔ばなし

紺屋とゼニガメ

昭和58年12月17日放映

演出:三善和彦

原動画:三善和彦(& BOB ANIMATION FILM)

美術(背景):関口良雄

文芸:沖島勲

あらすじ

 昔あるところに、川を挟んで東と西に二軒の紺屋があった。二人の紺屋はいつもその川で、染めた布を水洗いしていた。ある日、白い髭を生やしたお爺さんが二軒の紺屋にやって来て、「お金はいくらでも出すから、この布を紺色に染めてくだされ」と言って白布を一反ずつ置いていった。東の紺屋は「しめしめ、金は望みのままだ」と喜び、西の紺屋は「よほど大事な布だろうから、丁寧に染めねば」と考えた。ところがこの白布は、いくら染めようとしても川で水洗いするとたちまち元の白布に戻ってしまい、どちらの紺屋もどうしても染めることが出来なかった。二人はすっかり困ってしまった。

 

 やがて約束の日になって白髭のお爺さんがやって来た。東の紺屋は約束通り出来たと言って、水洗いせずに乾かした布を差し出した。お爺さんは、何も言わずに大金の入った箱を置いて帰っていった。西の紺屋は染められなかったことを謝ると、白布と一緒にもう一反の別の紺色の布を差し出した。お爺さんは、やっぱり何も言わずに大金を置いていった。

 

 その夜、東の紺屋が変な物音に目を覚ますと、箱の中の大金に手足が生えて、みんな小さなゼニガメになっていた。ゾロゾロ箱から逃げ出したゼニガメを東の紺屋が追いかけていくと、川の中からあの白髭のお爺さんがゼニガメ達に手招きしていた。お爺さんはその川の水神さまだったのだ。それ以来川の東側はゼニガメのために水が濁り、良い染め物が出来なくなってしまったが、西の紺屋は水神さまからもらった金で益々大きな紺屋になって繁盛したという。

konya1.jpg
konya2.jpg

原作

 寺沢正美さん(未来社刊)の原作は、すでに物語として完成されていたため、内容は殆どそのままで特には何も変えていません。しかし原作を読んだ時にはさほど感じられないのですが、あまりにもそのままを映像にしてしまったのでは、東の紺屋がつぶされてしまうほどのひどい悪事を働いたようには、どうも感じられないのです。

 

 そこで、冒頭から東の紺屋が西の紺屋に対して一方的に嫌がらせをするところをを伏線的に見せたり、最大のミスであったところの嘘をついたという部分を際立たせようと、水神さまに「ウソはいかん。ウソはいかんよ」などというセリフを言わせたりしたのですが、それでも完成したものを見ると、まだまだ映像的には弱かったようです。

 

 文章表現と映像表現の大きな違いを知り、映像化するということの難しさを痛感させられました。

解説

 藍染のことについての予備知識が一切なく、全て一から調べましたが、所詮本で読んだことにすぎません。特にアニメーションですから、何とかして染めている動作を見たいと思ったものの結局かなわず、ところが作品完成直後に藍染についての特別番組がテレビ放映され、冷や汗をかきながら見た覚えがあります。「まんが日本昔ばなし」は高視聴率の番組でもありましたから、日本のどこかで必ず自分よりはるかに詳しい方がご覧になっているに違いありません。時代考証の専門家が付いているわけでもなく、全て演出家個人が調べて作りますので、変な間違いがあったらどうしよう、恥ずかしいミスを犯してしまったらどうしようと、毎回心配でした。

 

 東の紺屋は商売人的発想、西の紺屋は職人的発想をするわけですが、藍染の工程も東の紺屋は合理的・効率優先主義的に、西の紺屋は非効率的なまでの品質最優先の職人気質という感じを出そうと工夫してみました。また、ごまかした布であることを映像でも分かるようにするために、東の紺屋が手をどけると、その手の形に(紺屋の手の冷や汗で)布が白くなっており、慌ててその布をひっくり返してごまかすというシーンを作りました。

konya3.jpg
konya4.jpg

​ 作画のスタイルは「四十八豆と大黒天」の延長上にありますが、あそこまで極端ではなく、キャラクターにはちゃんと横顔もありますし、描線は太いものの、塗りは通常のセルアニメーションです。

​ 垂直線や水平線を無視して人物を斜めに立たせたりしながら、全体としてバランスが取れていればいいという感じで構図を決めていましたが、ロングではそれでバランスが取れていても、その一部分にアップで寄って見せると、単に斜めに傾いた絵にしか見えなくなります。そういう失敗を、この作品では結構犯しています。まだ試行錯誤の模索中ですね。

konya5.jpg

​ この作品を作ってから何年も過ぎた頃、グループ・タックの方が偶々乗っていた西武線の電車から、線路脇で洗い張りをしている作業場があるを見つけ、問い合わせたところその染物屋さんが見学を許可して下さったということで、そこに私も誘って頂き、チーフ・アニメーターの上口昭人さんらと共に伺いました。そこで藍染めの作業場や、型染めの技法を見学させて頂き、これは大変な勉強になりました。

​ アニメーションは動きで表現するのがキモですから、動きとしての所作をわかっていなければウソになります。「紺屋とゼニガメ」を作る前、もっと早くに見学したかったなぁと、あの時はつくづく思いました。

​ 品質重視、決して手を抜かずに誠実に仕上げるなどと言っても、収益を度外視しては商売は成り立ちません。一方を明らかな悪と描ききれない弱さが、この話にはありました。合理性や高収益を求めることは、決して悪ではないのです。むしろ、そうしたものを無視し、収益に見合わないほどの手間や時間を費やしてハイ・クオリティなものを作ってしまいがちなのが、アニメーターの悲しい性であり、こうしたことはアニメの世界に限らず、きっと日本の至る所にあるでしょう。

 話はズレちゃうかもしれませんが、これは自らがいる世界とも密接な関わりがある重大な問題で、見返りとは釣り合わない仕事をすることは、たとえ良かれと思ってしたことでも、結果として同業者の首を絞めることになるという深刻な問題につながっています。

bottom of page